2000-02-18 第147回国会 衆議院 予算委員会 第9号
解散風が吹いて選挙区を一生懸命歩いているって、これは国会議員じゃない、ただ選挙屋さんだな、まあ土曜日曜ぐらいだね、地元にいられるのは、こういうふうに言いましたね。どうですか。言いましたか。
解散風が吹いて選挙区を一生懸命歩いているって、これは国会議員じゃない、ただ選挙屋さんだな、まあ土曜日曜ぐらいだね、地元にいられるのは、こういうふうに言いましたね。どうですか。言いましたか。
、いわば番記者といいますか、いらっしゃいます、その方々が、いわゆるぶら下がりというのでしょうか、待ち受けていて、いや越智さん、選挙区回っている人も多いけれども、あなたはどう思いますかと言うから、あなたのおっしゃったとおり、国会議員は国会開会中は国会に来て委員会に出るのが責任だと思っておりますから、その時期に地元を回っていらっしゃる方は、これは国政よりも自分の選挙のことしか考えていないという意味で、選挙屋
という話し出しからあるわけでございますが、時間の関係で途中を省かしていただいて、「しかし細川家の子孫ということで、お金目当ての選挙屋が続々と集まってきました。ほとんどの人がお金の要求でした。運動だけはその人たちに頼んでおり、最初は順調でしたが、お金がないと知ると去っていき、最初の選挙は落選でした。」こういうようなお金に関してのお話があるわけでございます。
ちょうどたまたま、私もよくわかりませんけれども、フィリピンの開票は今ごろ始まって何か本当の開票が出るのは一週間ぐらい先だなんて言う人もありましたが、相当な暇のかかるところだなという、これは選挙屋としてそういう感じを持ちながらも、しかしあのときのタイミングというものは、フィリピン国民全体の今日の状態ということを考えながら適切な時期の選択ではなかったかと、直接の責任者じゃございませんけれども、そういう印象
選挙屋と言われるけれども、これは非常に中立の人たちで、毎日お茶飲み会やりながら、選挙が好きだから、政治が好きだから、あいつはどうだとかこいつはどうだとか。だから立会演説会というものは、そういう数字だけじゃなくて、日本の政治状況の中ではぜひ残していく制度。残さなければいけない。 さっき世田谷の例がありましたけれども、これはお話を伺っていると区長さんでしょう。
また、五月二十六日の毎日新聞でございますか、「”選挙屋”は行く」この記事を見ておりましたら、「官僚出身のDさんね、あすこではもう二十億は使ってますな」「青年実業家のEさんは三十億は固いでしょう」 「Eさんは六十億ですよ。これは信頼できるスジの情報です」なんて書いてあるわけですよ。こんな、参議院選挙で一人が使う選挙費用が六十億だなんてとりざたされるようでは、これ は全くひどいと思うのです。
五月二十六日の毎日新聞を見ましたら「選挙屋は行く」と、こう出ておるわけです。そしてその記事の中に、「官僚出身のDさんね、あそこではもう二十億は使ってますな」「青年実業家のEさんは三十億は固いでしょう」「Eさんは六十億ですよ。これは信頼できるスジの情報です」なんてね。一つの国会議員の選挙に六十億も使うなんて取りざたされるようでは、もう政治も選挙も私はおしまいだと思います。
現職の法務大臣が暴力団の親分の葬式に花輪を贈ったり、政党の大幹部がやくざの親分のあと目相続披露式に出席して、仁侠道を賛美して世のひんしゅくを買ったり、さらには、現職の大臣が札つきの右翼選挙屋から知事選の横流し選挙はがきを買い取ることにつき関与したと疑うに足りる理由ありとして捜査当局から極秘裏に取り調べられ、危うく不起訴になったり、都知事選に暴力団を雇って反対党たる社会党候補者の立ち会い演説を集中的に
今度のこの両法案とも、改正案はいわゆる事務の改正あるいは一部の選挙屋、こういうことに問題をかこつけて、民主政治の確立を願う大多数の国民の要望をしりぞけて、与党議員の声のみいれて改正したのではないか、こういうふうにいわなくてはならないと思います。従いまして今度の改正案は、私たちに言わせますると、それは改正案ではなく、改悪案であるといわなくてはならないと思います。